岡本太郎への注目は一向に衰える気配がない。関連書籍の出版が相次ぎ、「太郎本」コーナーを設ける大型書店も多い。さまざまな切り口の岡本太郎展が各地で開催され、新聞や雑誌に大きく取り上げられることも度々だ。
しかし、いまでは信じられないことだが、晩年の太郎は半ば忘れられた存在だった。絵を売らなかったために巡回展が途絶えた後は作品を見ることができず、著作もほぼすべてが絶版となり、メディアに登場することも無くなった。気がついてみたら、目の前から消えていたのだ。
その状況を大きく変えたのが太郎のパートナー、岡本敏子だった。50年来の秘書だった敏子は、生前の太郎を「三歩下がって」支え続けた。いつもそばにいて太郎の創作意欲を掻き立て、プライベートにかかわる一切を取り仕切った。
太郎の取材に同行して資料を調えたのも、彼の発する言葉を書き留めて著作に仕上げたのも、すべて彼女の仕事だ。敏子は岡本太郎という芸術家にとって最高の伴侶であると同時に、男女を超えた“戦友”だった。
だが裏方に徹していた敏子の人生は太郎の死で一変する。
「岡本太郎という奇跡を伝えたい」。彼女はそう言って、自宅を記念館として開放。絶版になっていた著書の復刻に奔走し、新しい本も次々に出版した。さらに全国を講演に飛び回り、メディアにも登場して太郎を語り続けた。すべては太郎を次代に伝えるためだった。
敏子が蒔いた種が今、芽を吹き始めている。まるで雪の玉を転がすようにどんどん大きく膨らんでいる。これは、無名だった芸術家が死んだ後に評価されたのとは違う。太郎は日本で最も有名な芸術家のひとりだった。今、起きているのは、亡くなって10年も経ってからその生き方や美意識に対する共感の輪が広がっているという現象だ。おそらくほとんど例のない出来事ではないか。奇跡を起したのは敏子という“もうひとりの太郎”だった。 |